2018年03月14日

自由って何?

たまに、頭の片隅で、チラチラと、考えてしまうこと


自由って何?



一般的に


自由とは“良いもの”とされていて


みんなそこを目指すけど


本当にそんなに素晴らしいものなのかな


疑問アリマス


そもそも自由って何?




360度地平線しかないだだっ広い平地


視界も行動も遮るものは何もない


自由にどこにでも行ける


なんだってできる



でも


どこへ行ってもだだっ広い平地が続くだけ


何をしてもその風景は変わらない



それって自由って言えるのでしょうか


そこには前も後ろもない


虚無が広がっているだけなのではないでしょうか



表現も人生も制限や障害があってこそ


ぶつかって、ぶちあたってこそ


だと思う




でも、駅のホームでこの標示

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これを見かけると


精神的なプレッシャーを感じて


胸がウッとなります


どこで立ち止まろうが、こっちの自由やろが!


自由に立ち止まらせろや!


ウケる

2017年09月04日

最高の瞬間を永遠に

Tierra Cuatroのツアー千秋楽が無事終了し、ライブ後夜走りで帰京、さきほど無事帰宅しました

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ライブで、音に100%集中して心から素直に音を出すと


時々最高としか言えない瞬間が訪れる


そのときは音が響いている空間のあらゆるものがあらゆるものから自由になり、そこにいるみんなの魂と自分の魂が一体化するのがわかる


過去も未来も無い、あらゆる壁・隔たりも無くなる瞬間


そこには全ての存在にとって気持ち良さしかない




この最高の瞬間


これを人生の全ての時間で味わえないか


僕にとってはそれが生きる目的であり


人生の目標となった




音楽をしててたまに訪れるその瞬間


人生の一部である音楽でそれを味わえるなら、人生の全ての時間をそうすることも可能なのではなかろか


わからない


でも一瞬でも最高のものを見てしまったら


それを全ての時間に感じられないものか追求しないわけにはいかない




音楽とそれ以外の時間を分けて考えたり、オンとオフを使い分けたりしてたら到達できないであろう


常にオン


音楽をしてない時間も、いかに音楽をしている感覚でいられるか


常にライブ


笛を吹かずにいかに笛を吹くか


常に笛


この瞬間、いかに心の声に正直に生きるか


常に人間


それしかない




そうやって生きていると怖いときもあるし、人間関係しんどいときもあります


でも、理想を追求しないわけにはいかない


そして、普段から心の声に正直に生きていない者が、音楽において常に心から音を出せるとは思えない


音楽もそれ以外の時間も、全ては繋がっているので


常に真剣に一瞬一瞬の自分の心の声に耳を傾け続けるよりほかない




全然ままならないけど


みんながしあわせでありますように


すべてがうまいこといきますように





ライブレポなどはツイッターやFacebookに載せてます

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2017年07月08日

願うということ

昨日の記事で書いた


願う


ということ


願い続ける


ということ



これは何も、その願い事を四六時中アタマの中で唱え続けているわけではありません


その願いが叶った世界に今の世界が少しでも近づくためにはどうしたらいいか


それを考えながら、行動し続ける


ということ


行動し続けること、それが願い続ける、ということです



もちろん自分には世界を動かす力なんてありません(それこそ宇宙の果てのことなんてわかるわけないけど、でも何も影響が無いとも言い切れない)





でも、自分が持つ理想に向かって自分が行動しなかったら他に誰がやるのか


ほとんどの願い事はかなわないし、夢はあっけなく破れ去るし、死は誰のもとにも簡単に訪れます


でもそれが諦める理由にはならない


到達するかしないかが問題ではなく


何かに向かって歩き続けることが大事で、どれだけそこに自分を賭けられるか


そういう人生の方が僕は楽しいし生きてる実感があるのです



そんな今日は那須に来ました


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2017年03月13日

ゲーテに土下座(ゲザ)る

昨日の記事


「ゲーテは『芸術家よ語るなかれ、造れ』言うとるけど、そらおかしいで。「語るなかれ」ということを語っとる。作品でそのメッセージを示せんからって、自分で語ったらアカンわ。ゲーテはん、心が弱ってたんとちゃうか?」


とゲーテをディスりまくった私でしたが


原文を調べたところ


原文
Bilde, Kuenstler, rede nicht !
Nur ein Hauch sei dein Gedicht !


形作れ! 芸術家よ! 語るな!
ただ一つの息吹だにも汝の詩たれかし。


という詩でした


めっちゃ韻踏んでるし


ゲーテはこのメッセージを語ることなく、ちゃんと作品化していたわけです


ヒー


おれ、ほざいた


全然心弱ってなかった


むしろゴリゴリの強い精神が伝わってくる


この詩の完成度はわからないけど、この際そこが重要なのではなく


とにかく言いたいことを作品にしようとする強靭な意志を感じる


まさにドイツ人


ドイツ人って鋼鉄の心を持っているイメージあります


人種差別?


レイシスト山下


ウケる



逆に言うと、詩という形で作品化されたからこそ現代までこの言葉が残ったのかもしれませんね


作品というものにはそういった普遍性が与えられると思います




というわけでとりあえずゲーテさんにジャンピング土下座


そして大変励まされました


素晴らしい


えらいよ


おれ、見習うよ




あと、この言葉の「芸術家」って、どんなものかよくわからないけど


僕は表現者と解釈をしました


表現者とは何か、もう少し突っ込んで考えてみると


自分の内面から出てくる何かを何らかの方法で発信・表出する人


対象は個人の時もあるけど、基本的には不特定多数が対象であることが想定される


ということなのかな




そうなると、やはり僕はSNSのことを考えずにはいられない


SNSはまさに不特定多数・全世界に自分の何かを発信する場


ここに投稿する人はみな表現者であると思うわけです


投稿する一人びとりが感じる自分なりの美しさやら、ユーモアやら、なにかしらグッと来るこだわりのようなもの、「なんか良い感じ」をほんの少しでも投稿に盛り込めばそれは作品になるし、SNSがそういうものになればもっと楽しくなるのになあ、と思う




このインターネット・SNS時代、人類みな表現者である時代


不特定多数に向けた発信が作品であるかどうかという意識は、人類のこれからにとってもかなり重要なものなのではないかなと思う


いわゆる、愛があるか、無いか、的な?


ゲーテも!そういうことが!言いたいのでは!ないかと!


そういう!ことなのでは!ないかと!こう!思うのです!




例えば、昨日わたしはこんなツイートしました






くそくだらねー


確定申告ギャグ


わかってもらえないかもしれないけど


少なくとも


オレ、ウケる






さよなら


2017年03月09日

地面と足跡の哲学

わたくしたちは普段、何気なく道路を歩いていますが


地面がそこにあることを意識していません


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↑この図からもわかるように


結果的に足跡以外の地面は歩くためには必要とされませんでした、利用されませんでした


でも本当に踏みしめた場所以外の地面は必要なかったのでしょうか


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↑もし、足跡として使われたところ以外の地面が無くて、奈落の底まで届く谷であったら


この足跡の通りに歩くことが出来るでしょうか


普段は意識せずに鼻歌まじりに歩けるのだから、本来なら何も考えず同じように歩けるはずなのに…


途端に歩けなくなりますね




と、いうように


歩くためには、踏むところよりも踏まないところが大事なようです


もちろん地面を踏みしめることによってわたくしたちは歩いています


でも、歩くために必要とされない・利用されない地面の存在がわたくしたちを歩ける状態にしてくれています


逆説的ですがね





不必要が必要


音楽にもそういった音、パート、役割、あると思います


きっと、音楽以外のあらゆることにもそういったことがあるんだろうな




不必要がわたくしたちを無意識の世界へ導いてくれているのかもしれない


そんなことを考えました




え、オチ?


無いですよ?




ウケる





さよなら

2017年03月08日

一見つまらないものの中に面白さを見出だすこと、面白くないものを面白くないと言うこと

最近毎日ブログ更新してます


何てことないこと、日常の中でほんの少しだけでも感じた″何か″


そのかけらを掬いとって文章として形にし続けることは音楽を作ることに似ているような気がして




面白いことだけが面白いのではなく


ありふれたものや、一見つまらないことの中に


面白さや美しさや喜びを見いだす姿勢を持っていたい




さもなくば、見たことのない世界は見えてこないであろー



見たこともないものを見てみたいし、未知の体験をしてみたいし、誰も知らない世界へ行ってみたい


そのときほど生きてる実感が得られることはないから


未知の世界には期待やワクワク感もあるけど、もちろん恐怖もある


でも恐ろしいからこそ一生懸命生きてやろうと精神と身体が総動員で奮い立つのでR


その感覚に病みつきなのだります


感覚の針を振り切りたい


人生の目的と言ってもいいかもしれない


だから、生きている全ての瞬間で、どんなことにでも可能性があると信じていたい





わたくしの大事にしてる言葉を一つ、思い出した


「面白くないものを面白くないと言うことほど面白くないことは無い」


つまり、面白くないと感じたものをそのまま「面白くないもの」としてカテゴライズして扱うのは、めちゃくちゃつまんねーぞ、ってこと




でも、


考えてみたら


「面白くないものを面白くないと言うこと」を面白くない、と考えることも結局は面白くないものを面白くないと思ってることとイコールだから
(『面白くないものを面白くないと言うこと』を「面白くないもの」としてカテゴライズしている)


この考えはつまらないのかもねー




全てのことに面白さを見いだすのなら、もしかしたら


「面白くないものを面白くないと言うこと」も面白いのかもしれない



でも面白くないことの中にいかに面白さを見出だすかが大事だと思うので、そもそもまず面白くないものを面白くないと言ってしまうのは、いかがなものか




むむむ


目が回ります


ジレンマ


つらい立場ですよ





いずれにせよ


すげーわかりにくい文章


自覚はしてます!



ごめんね




何の結論も出なかったけど


またこのことについて考えを深めたら続きを書くかもしれないし書かないかもしれない


結構ずっと考えてることだけど、なかなか難しいね





では、さよなら

2017年01月08日

自分を絶賛する投稿をリツイートできない。からの、SNSで何を発信すれば良いのか考えてみた。

Twitterでこんな言説と出会った






僕も、自分を絶賛してくれている投稿をリツイートすることができない


でもそれはファンが求めてる情報ではないからというより


「見てみて!こんなに絶賛されてるオレ、すごいでしょ!」


的なアピールに思えてしまって、自分の物差しでは下品に感じてしまうというか


自己顕示欲や自己承認欲求の塊を世界に垂れ流すことになってしまうと感じているから


という理由が強い


自分の気持ち的に、どうしてもできないのん



もちろんライブやCDの感想で賞賛してくれる投稿はとても嬉しいです


というか絶賛じゃなくても、感想をいただくこと自体とても嬉しくありがたいことです


どんどん書いてほしい


一つびとつありがたく受け止めたい


重く受け止めたい


でもそれを自分がリツイートして全世界に拡散するかは別の話なのです

(これは僕が個人的にそう思うというだけで、そう思わない人ももちろんいるわけで、リツイートする人を批判するつもりは全くありません。何を考えてどんな行動をとるかは言うまでもなく個人の自由で、したい人はすれば良いし、したくない人はしなければ良い。僕はこういう理由でしない、ということ)



もうひとつ


上記のツイートは「ファンの求める情報」というテーマに言及していて、それについても考えなければいけません


絶賛リツイートがファンの求めていない情報というのは確かにその通りのような気もする


ライブやCDを聴いた自分以外の人たちがどんな感想を持ったのか、本当に気になるファンの人だったら自分で調べるだろうし


また、ファンでもない人が絶賛リツイートを見ても興味を持てないばかりか、それこそ「コイツ自分すげえアピールうざいな」と思われて終わりな気がする

(もちろん、同じ内容のものを見て何を感じるかは人それぞれなので一概には言えないけれども)



では、TwitterをはじめとするSNSで、読者は何を求めているのだろう


僕は10年近くTwitterをやっているのですが


全くわからない


ウケる


五里霧中ちゃん



そもそも、ファンの求めている情報を発信しようという意識があまりなかった


自分にファンがいるという意識もあまりなかった


ウケる


そこは意識持てよ



僕の音楽を好きな人は僕の音楽を求めているわけで、僕の言葉を求めているわけではない


音楽を演奏することが何よりのサービスであり、それを磨くことが最高にして唯一の自分に出来ることだと思う

(その認識が正しいのか間違ってるのかはわからないし、そもそも正しいとか間違ってるとかいうものでも無いのかもしれないけれど、少なくとも今僕はそう思っています)


ではなぜ僕がSNSを利用しているかというと、それは宣伝のため


活動の宣伝は必要だし、現状の自分にはSNSはその目的に合致しているもののように思えるから


でもライブの告知ばっかりになってもつまらないので、ときどき音楽や自分の活動とは関係ない発言をしたりしています


その発言において基準となるのは、読んだ人がほんの少しでも何かを感じられるような投稿であるかどうか、という判断


例えばユーモアを盛りこむ、とか


つまり、その投稿が「作品になっているか」という判断・客観性を自分なりに大切にしたい


Twitterではその「自分の発言が作品かどうか」を決めるハードルはとても低いです


たとえばCDレコーディングにおいて演奏をOKテイクにするかどうか決めるハードルが100だとしたら、Twitterは1くらいかもしれない


もちろんその投稿が誰の心にも届かないことも多々あるでしょう


でも、「ハードルを設ける」ということが僕にとっては大事で、ただ垂れ流すのではなく、客観性を持って自分なりの基準をクリアしたものを発信することが読んでくれている人への礼儀というか最低限の配慮だと思っています


人に自分の文章を読ませているわけですから


音楽だって人に聴いてもらうには練習が必要なわけですし


文章だからといって、無料だからといって、その配慮が必要無いとは僕には思えないのです


マジメちゃん




ここまで書いて僕自身感じたのは、宣伝を主な目的にしている以上、僕のSNSにおけるターゲットはファンではなく、僕のことを知らない人に向いているのかもしれないということ


僕の音楽を好きな人は僕がSNSで宣伝するまでもなくホームページでライブスケジュールを調べたりしてくれているから


もちろんSNSの投稿を情報源にしてくれていることは多いだろうけど


あくまでターゲットは僕のことを知らない人に向いているのではないだろうか


ということに今、自分で気づいた



であれば、どういう情報を発信すれば良いのか、おのずと答えが出るのではないか



いや


全然わからん


ウケる


考えれば考えるほどわからん


どんどん考えて、どんどん混迷しちゃう


なんにも投稿できなくなっちゃうYO!




長々と書いてきて何の結論も出なかったし、何をすべきかもわからん


どういうスタンスでいるのが良いかもわからん


何もわからん


ただ自分の心の中では


「音楽を演奏することが自分に出来る何よりのサービス」だと思っていながら、SNSでは自分も人も望むものは提供できないものの「宣伝」のために投稿していて、発信するからにはクオリティを保持することが大切である


という矛盾を抱えた状況であることがわかってきました


だからSNSはストレスがたまるんだネ


やっぱり書くと客観的な状況がわかってくるネ


ウケる


他人事か




長文付き合ってくれたのに


この体たらくよ


ごめんね


でも僕にとっては現状が整理できて、この記事を書いてよかったと思ってるよ



このテーマ、また考えましょーねー


みんなどうやってSNSと付き合ってるのか


いろんな人の意見を聞いてみたいぜー




さよなら


最後に宣伝でふ


でふでふ


--------


明日1/9(月・祝)は今年の初ライブ、大塚GrecoにてTierra Cuatroライブ


ゲストにバイオリン平松加奈さんをお迎えしてにぎにぎしくお送りします


午後15時開演です


絶対来てね

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◆1/9(月・祝)
Tierra Cuatro
@大塚Greco
http://www.greco.gr.jp/
03-3916-9551
¥4,100(季節の一品付き)
開場14:00/開演15:00
山下Topo洋平ケーナ、上野山英里p、小畑和彦g、海沼正利per
ゲスト:平松加奈vln

Tierra Cuatro ホームページ
http://tierracuatro.com/
動画
https://youtu.be/VQPapBQLj-A

2016年11月15日

笛を吹かずに笛を吹く



先月、映画『シーモアさんと、大人のための人生入門』を見た


内容は動画の予告編を見ていただくとして


僕が印象に残ったのは、シーモアさんの「音楽をしているときの自分とそれ以外の自分が一致すると果てしない充実感に包まれる」という言葉


これはまさに僕がこの数年の課題として抱えている大きな問題でありまして


音楽をしている時間は一言で言えば最高で、過去も未来もお金も評価も地位も名誉も思想も人種も宗教も関係ない、あらゆるものから解放されて魂が気持ち良く空を飛んでるように自由になって本当に幸せを感じるのだけれども、それ以外の時間でそこまでの魂の解放・幸せを感じることは難しい


でも僕は音楽をしている時間のような幸せな時間を音楽以外の時間でも感じていられるはずだと確信している


音楽も人生の一部なのだから、一部が最高なものに出来るのなら全体を最高にすることも出来るはずだ、と


そういうイメージが浮かんじゃったから、そこに向かうよりほかない



ある人は言った


「マイナスがあるからプラスを感じられるのではないか、不幸があるから幸福を感じられるのではないか」


その意見を僕は否定する


不幸があるから音楽で幸福を感じているわけではない


音楽のあの多幸感は絶対的なものであり、無条件に与えられるものであり、相対的なものではない




で、具体的に音楽の時間とそれ以外の時間をどう一致させていくか、という問題


笛を吹いているとき、僕は何を感じているのか


その感覚を笛を吹いてないときにも感じていれば良いのではないか


つまり


笛を吹かずに、いかに笛を吹くか


これだ


その域に達するために、今度時間を作って山籠もりして昼夜問わず徹底的に笛を吹きたいと思う


自分を自然の世界に追い詰めて(解放して)情報や生活から隔離し、その状況で笛と同化することで空間と調和した自分を見つめ、その感覚を身体と魂に徹底的に叩き込む必要がある


何日間の山籠もりになるかわからないけれど


やりたい


やらなければならない


もちろん、現在の普段の生活やライブでも、より感覚を研ぎ澄ませている最中であることは言うまでもない


2016年10月05日

人間らしさとは何か?

人間とは何だろう


人間の体の大部分は水で出来ているという


わたしたち人間は、水とほぼ同じ存在であるということ


しかし水は水、人間は人間、違いがあるはずだ


それは何だろう



水は重力に逆らわず、ただ低い方へ流れてゆく


人間は違う


重力に逆らって立ち上がることができる


前に進むことができる


自分の意志で何かをすることができる


これが水との違い


意志が無ければ、水とおんなじっちゅうこっちゃ



立ち上がる力


前進する力


向上しようとする力


何かをやろうとする意志


これこそが人間を人間たらしめているものではなかろか


(肉体は意志を表現するための道具にすぎない?)(肉体があるから意志が生まれるのではなく、意志があるから肉体を持っている??)




とはいえ


大部分は水だから、低い方へ楽に楽に流されていってしまうのも必然であり仕方のないこと


でもたまには立ち上がって、ほんのちょっとだけ、前に進もう


そのくらいで充分、人間らしい


と思う





では



わたしの水分がとにかく昼寝をしたいと言ってますので



さよなら

2016年09月20日

思いやり、またはやさしさについて

ツイッターでこんな言説に出会いました


この言説のテーマは、思いやり、またはやさしさ、ということなのかな





確かにその通りだと思います


けれども、他人のことを考えすぎるとがんじがらめになって何も出来なくなっちゃうYO!




自分の思い通りに人の心をコントロールすることはできません


で、あれば


何をしたって誰かを傷つけてしまうかもしれないし、何をしたって必ずしも人を喜ばせることはできないかもしれない


という前提に立ち


その瞬間、自分が心の底から気持ち良いと感じる行動をシンプルに選択をしていくしかない


と思う


それはその瞬間の自分の全力であり、ならば結果がどうなっても心はさわやかだ


もちろん人を喜ばせることが出来ていたなら最高だけど、実際に人の心を完璧に知る術は無い


自分の選択が他人にとって良い結果を生むと信じるしかないし、少なくとも自分には最高のはずだ


それだけで充分だ


そして、突き詰めて考えれば自分にはそれしか出来ないことがわかる


心の声に従って、自分にとって最高に気持ち良いであろう選択を瞬間瞬間で全力で選んでいく


人生を通して、全ての瞬間で、小気味よく、けれん味なく、掴んでゆく


結局はそれが思いやりであり、やさしさだと思う




まじめか



さよなら

2016年03月02日

Steps

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その一歩


どこへ?


そこにあるものは


気持ち良い?


良くない?


そこが


気になる


心に聴いてみましょう

2016年03月01日

陰鬱な雲

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陰鬱な雲


切り取る線


葉は枯れ落ちても


ほとばしる生命


死への旅


最果ては遠くて近い

2016年02月29日

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このひとしずくはかつての僕であり


未来の僕でもある


僕はこのひとしずくの未来の姿でもあり


かつての姿でもある


時間を超えれば全ては一体

2月29日

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己の信ずる道を進めば進むほど


人間の作ったあらゆるグループ、カテゴリー、ジャンル、枠組み、組織から逸脱してゆくのを感ずる


人類のしあわせを追求すればするほど孤立し孤独になってゆく


もとより人間はしあわせを求めてはいないのか


それでも信ずる道を行くしかない


その孤独は私という個人が原初的に持つ性質にのみ立脚して生きているからこそ感じるものだとも言える


己を信じ、人間を信じるよりほかない


なぜなら


今年はうるう年ですから


ウケる


何も関係ねえ


2016年01月19日

別になんでもないけど

去年はこともあろうに一曲も書けなかった


なんということでしょう


慚愧に堪えない



思い返すと


夜中のテンションで思いついたアイデアを翌日ことごとくボツにし続けた一年であった



思うに


臆病になっていたのかもしれない


恐れていたのかもしれない


結果を



「良いもの」を生みだそうとしすぎるあまり、がんじがらめになっていたのかもしれない



不本意



何が不本意って、曲が書けなかったことよりも、結果などという確定してもいない未来を気にするあまり、今の自分を殺していたことが不本意


まことに遺憾



その前の2014年はそんなブレーキは一切踏まず、曲を量産しまくった年でした


1年でこうも変わるかね



しかしこの不安定さもまた、流れか




今年は12曲は書くと先日のライブで宣言してしまった


ノルマみたいなものを設定するのはなんか違うと思いつつ、でも一周して逆にアリかも、とも思う



とにかく、「形」とか「在り方」とか、もう本当にどうでもいい


どうあれ今この瞬間を、衝動を、魂の発露を、大事にしていきたい



ストイックに欲望に忠実に


2015年10月21日

チャ

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お茶は


飲みたいときに飲むのが


一番おいしいし


心が休まる

2015年08月13日

リアリスト

最初にエレベーターに乗ったら最後にエレベーターを降り、最後にエレベーターに乗ったら最初にエレベーターを降りる




こんにちは


オレはヤマシタ




現実を忘れさせる音楽というよりも


人間は、生命は、この世界は、素晴らしい


という、私たちがもともと普遍的に持っている現実を突き付ける音楽でありたい



忘れないで






存在でありたい









さよなら



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