2021年01月17日

AIについて考え出したら止まらなくなった

眠くて眠くてどうしようもないのに、いざ寝床に着くと眠れなくなるのはどういうことなのでしょうか

例によって今日も眠れないので考え事ばかりが頭の中をぐるぐるまわり


今日はなぜかAI.、人工知能についての考えが止まらなくなったので書き留めておこうと思います




AIがこのまま発達していくと、ある時点で人間を超える時が来るらしい


すげえ


やべえ


めっちゃ便利になるわけ?


しかしするってぇと人間の存在価値は?


とか発想しがちだけど


一歩止まって考えなおしてみました


超える?


いったいどこの誰をどのようにして超えるというのか


そもそも


超えるって何?



人は一人一人違いはあります


足の速い人もいれば背の低い人もいれば計算が得意な人もいれば握力の弱い人もいる


笛でめちゃくちゃ指が回る人もいれば全然回らない人もいる


物語を生み出せる人もいれば生み出せない人もいる


これらの違いがあるからといって、当然のことながら人の価値は変わりません


計算が早い人は人間として優れていて、計算が遅い人は人間として劣っていることにはならない


ただ、違いはある


それだけ


そこに人の価値としての優劣はありません



だから、AIが発達しても人間を超えることはなく、そこにはただAIという「違うもの」が存在することになるだけなのではないでしょうか




でも、優劣をつけたくなる気持ちもわかるんです


能力や成果で考えるから優劣という発想になるのでしょう


それは社会というスケールで物事を見ているからではないでしょうか


社会に貢献しなければ人間として劣っている


社会で有利なポジションにつくための能力を持っているから人間として優れている


こんな発想であれば、社会に最適化されたAIの登場は脅威に感じることでしょう


自分よりも能力のある人間に対して感じる脅威と同じように



この資本主義社会の構造でしか考えられなければそう思ってしまうのも無理はありません


端的に言えば、カネを稼げる人間が価値があり、そうでない人間はゴミだ、と


でも、お金を稼げない人だって笑って生活することはできるし、数字にならないところにしあわせは沢山転がっています


むしろ逆に、僕たちが生活の中で感じる喜びのほとんどは数字にはならないのではないでしょうか


僕たちが心から満たされるような深い喜びや楽しさや心地良さは他人との競争や比較から生まれる相対的なものではなく、もっと絶対的なものなのではないでしょうか




僕たちはみな人間の価値が社会という狭いところに押し込められてしまうものではないことを本当は知ってるはずです


社会が人間の上位にあり、その庇護下に人々が無条件・無抵抗に所属させられているわけではないのです


僕たちは自分の内側に自主的に社会性を持って生きているだけなのです


社会の傘下で生きることが当たり前になりすぎて麻痺してる人が多いだけで、僕たちは実はもっともっと自由で豊かな存在なのです


「命がある」、もっと言うと、「存在している」という一点で全てが等しく価値があるのが真理なのだと僕は思います


だから、人間一人一人に等しく価値があり、同様にAIにも価値があり、車、飛行機、猫、草花、テーブル、にんじん、木星、短編集、タンパク質、この宇宙に存在するもの全てが等しく価値があるのです


これは前回の記事の「全ては特別であり全ては特別でない」論に通じる話ですね




こんなことを布団に入って考えていたのでした



いま生まれたオナラは一瞬だけこの宇宙に存在して、すぐ消えた


ウケる


さよなら



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