2017年03月13日

ゲーテに土下座(ゲザ)る

昨日の記事


「ゲーテは『芸術家よ語るなかれ、造れ』言うとるけど、そらおかしいで。「語るなかれ」ということを語っとる。作品でそのメッセージを示せんからって、自分で語ったらアカンわ。ゲーテはん、心が弱ってたんとちゃうか?」


とゲーテをディスりまくった私でしたが


原文を調べたところ


原文
Bilde, Kuenstler, rede nicht !
Nur ein Hauch sei dein Gedicht !


形作れ! 芸術家よ! 語るな!
ただ一つの息吹だにも汝の詩たれかし。


という詩でした


めっちゃ韻踏んでるし


ゲーテはこのメッセージを語ることなく、ちゃんと作品化していたわけです


ヒー


おれ、ほざいた


全然心弱ってなかった


むしろゴリゴリの強い精神が伝わってくる


この詩の完成度はわからないけど、この際そこが重要なのではなく


とにかく言いたいことを作品にしようとする強靭な意志を感じる


まさにドイツ人


ドイツ人って鋼鉄の心を持っているイメージあります


人種差別?


レイシスト山下


ウケる



逆に言うと、詩という形で作品化されたからこそ現代までこの言葉が残ったのかもしれませんね


作品というものにはそういった普遍性が与えられると思います




というわけでとりあえずゲーテさんにジャンピング土下座


そして大変励まされました


素晴らしい


えらいよ


おれ、見習うよ




あと、この言葉の「芸術家」って、どんなものかよくわからないけど


僕は表現者と解釈をしました


表現者とは何か、もう少し突っ込んで考えてみると


自分の内面から出てくる何かを何らかの方法で発信・表出する人


対象は個人の時もあるけど、基本的には不特定多数が対象であることが想定される


ということなのかな




そうなると、やはり僕はSNSのことを考えずにはいられない


SNSはまさに不特定多数・全世界に自分の何かを発信する場


ここに投稿する人はみな表現者であると思うわけです


投稿する一人びとりが感じる自分なりの美しさやら、ユーモアやら、なにかしらグッと来るこだわりのようなもの、「なんか良い感じ」をほんの少しでも投稿に盛り込めばそれは作品になるし、SNSがそういうものになればもっと楽しくなるのになあ、と思う




このインターネット・SNS時代、人類みな表現者である時代


不特定多数に向けた発信が作品であるかどうかという意識は、人類のこれからにとってもかなり重要なものなのではないかなと思う


いわゆる、愛があるか、無いか、的な?


ゲーテも!そういうことが!言いたいのでは!ないかと!


そういう!ことなのでは!ないかと!こう!思うのです!




例えば、昨日わたしはこんなツイートしました






くそくだらねー


確定申告ギャグ


わかってもらえないかもしれないけど


少なくとも


オレ、ウケる






さよなら


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