2015年12月01日

映画『めまい』感想

ヒッチコック監督は「ヒッチコック劇場」が好きでDVDも買ったりしてました


長編の映画は数本しか観たことがなかったので、この際気になる作品は観ておきたいと思って


今回は有名な「めまい」を選びました



観終わった直後は


まあ、うん、おもしろいね


といった感想


前半と後半で男女のセリフが逆になったり、そういった逆転構造とかはよくできた脚本でおもしろいとは思うけど


主人公が親しくしている女友達の存在意義とか、考えてもよくわからない点が多かったし


そこまで素晴らしい映画だとは思いませんでした





僕は映画を観終わって自分なりの感想や解釈をある程度頭の中で整理してからネットでその作品の感想やレビューを調べるのが好きです


観た作品をみんなでああでもないこうでもないと語り合ってる感じがするから




「めまい」も検索しました


そこで見つけたある解釈が衝撃的で驚いた


僕のモヤモヤ抱いていた疑問がその解釈だと全て解消され


バラバラだったピースが全てピッタリとおさまり、綺麗にパズルが解けたのである


すごーい


超きもちー


何も言えねー



脳スッキリ、アハ体験


読みながら思わず「ハアー!」と唸ったよわたくしは


わたくしというものは



もはやこの映画はこの解釈しかあり得ぬ


それくらい完璧な解釈だし、これを作ったヒッチコックはハンパねえ


観ている時間だけでなく、鑑賞後にその作品のことを考える時間も映画体験だとすると


本当にすごい映画だと言わざるを得ない



しかもこの仕掛けに気付く人はどれくらいいるのだろうか


これみよがしに誘導せず、説明せず、観客に考えさせる


観客を信頼していなければ出来ない芸当


えらいよ





作り手としては作品が大切なので、そこに込めた重要な「肝」を説明したくなっちゃう気持ちがどうしても生まれてきてしまうのだけれど


それをしてしまうと感動が薄れてしまうし…


それはわかってるんだけど気付いてもらえなかったらせっかく作ったものがもったいないし…


という葛藤で悩みます


少なくとも僕はそういう悩み、あります


でも、そこで説明してしまうことはすなはち「観客=何も考えてない、何も感じないバカ」とみなすことになってしまうし、それを作り手たちが続けていたら人間は考える力が衰えて本当にバカになっていってしまうと思うから、ものを作る人間のはしくれとして僕はそれはやりたくない


ものを作る人間はやはり自分たち人類の向上のために何かを作るというのが基本的な姿勢であると思うからです


そんな考えから、僕自身は説明することを自制しています


心が弱ってくるとそのダムが決壊しそうになるけど、踏ん張りたい


(一例を挙げると、テレビのお笑い番組などでこれみよがしに字幕を入れ「ここが笑うところですよ」みたいな誘導をよく見るけど、あれは「君たちには言ってあげないとわからないから僕が面白いところを教えてあげるよ」という、すごく視聴者をバカにした態度に見える。しかも、視聴者も楽なのでそれを続けられることで実際に作品に接した時に考えなくなっていくと思うし、さらに作り手も考える力が低下していくように思う。結果、人間の知能・感性は低下していくのではなかろか。観客をバカと見なして作品を作ることには、そんな負のスパイラルを感じる)



その点、ヒッチコックは凄かった


クールに冷酷なまでに説明せず、突き放し、考えさせる


観客が考える人間であることを信頼している


その姿勢、素晴らしい、強い、格好良い、どっしりとしている、でっぷりとしている


そしてこの姿勢こそが作品にも人間にも自分にも全てに向けた愛情なのだと思う



もしくは、たかが映画、わかるやつだけわかればいいんだよ、と思っているだけかも


そっちかもね