2015年08月11日

映画『ゼロの未来』を観ました

このところ南米ツアーの準備や諸々の連絡、日々の仕事などでとても忙しいので、今日は映画を観てきた


忙しいので映画を観てきた、というと、因果関係がおかしいじゃないか、むちゃくちゃじゃないか、忙しかったら映画なぞ行っとる場合ではなかろう、ダボが、ダメ人間が、と怒りにうち震える方もいらっしゃるかもしれない


しかし私は、私という人間は、忙しいときほど携わっている事業とは全く関係のないことをしたくなる人間なのであり、例えば、仕事で大量の譜読みに終われているときなど、追い込まれれば追い込まれるほど、部屋の大規模な掃除など、今やらなくても良いじゃんソレ的なことに取りかかりたくなってしまうのである





ということで、フラッと思い立って行ってきました



観てきたのはテリー・ギリアム監督の新作『ゼロの未来』


テリー・ギリアム監督といえばわたくし的フェイバリット映画ベストテンに入るかもしれない『12モンキーズ』の監督であり、『未来世紀ブラジル』も良かったです



で、『ゼロの未来』


何の予備知識もなく観たのですが、いまいちわかりにくかったです


管理社会、消費社会への風刺、というのはわかりますし、テリー・ギリアム映画おなじみの奇妙にチープな未来的物体感や映像美、ユーモアもありました


しかし全編を通して話がわかりにくく、最終的には『未来世紀ブラジル』と言いたいことは変わってないのでは?という感じもしました



違うとすれば、『未来世紀ブラジル』では主人公は半狂乱になって空想世界で孤独を受け入れますが、『ゼロの未来』では主人公が自ら進んで仮想世界で孤独を受け入れるということでしょうか


いずれにしても人間の孤独・悲しさを描きつつ、だからこそ人間への暖かさというかやさしいまなざしは感じるわけです


そこはわたくしがテリー・ギリアム監督を好きな部分の一つなのですが、今作はそれ以前にそれぞれのエピソードやキャラクターやセリフやモノの象徴性や物語における意味がわかりにくくて、アタマの中がモヤモヤしているうちにどんどん時間が経過し、自分の中で決定的な解釈を得られないまま、おそらくあるであろう深いメッセージを掴めぬまま、ラストシーンをむかえてしまいました


これはわたくしの映画的リテラシーの無さや、映画以前の一般常識の無さにも原因があるのかもしれません


が、ラストシーンは主人公コーエンの表情や風景の美しさも相まってグッときました


なにかこう、自分を投影してしまうというか、人から見たらダメ人間で、でも自分ではダメ人間じゃないと思ってて、そのうえ世間には馴染めないことが多くて、でも結局、なんだかんだ言ったってオレってダメ人間なんだよね、的な感覚、忙しいのに映画を見に来るという暴挙に出てしまうこのわたくしも少なからずありまして、 またエンディングに流れる歌の歌詞がまさしくそんな歌で、嗚呼、と思ったのでした


コーエンは自分自身のことだったのだと、そこでようやく気が付いたのでした


コーエンは途中、自らの努力である変化をし、その新しい挑戦に「そういうコーエンが好きだ。新しいことを始めるのに年齢は関係ない」と登場人物の一人ボブは言いますが、新しいことを始めるよう促したのはボブであり、またラストシーンでコーエンが一人たたずむ美しい海辺は、ヒロインのベインズリーとの出会いがなければ行けませんでした


やっぱり「我々」は人が好きなのですね


そして、だけど、やっぱり、どうしようもなく孤独な存在なのですね


わからないことが多かったなりに、そんなことを感じた映画でした





この映画、たぶん退屈はするし万人にはおすすめしないけど、好きな人は好きだと思います


半分ネタバレみたいなことも言っちゃったけど、もし興味があったらば是非


映画『ゼロの未来』公式サイト
http://www.zeronomirai.com/