2012年05月23日

Project Voyager。「心の中の民衆」

今日は助川太郎さんとの「Project Voyager」でした。

学芸大学の珈琲美学にて。

雨の中お越しくださってありがとうございました!


今回もディープな時間でした。

二人の魂がダイレクトに現れたプリミティブな音楽。

作り上げるというよりも、そこにある音楽。

二人の民衆性がそのまま音になった、いわば僕達の土着音楽。


南米やアフリカやアジア諸国などなどに存在する、世界各地の土地に根ざした土着の民俗音楽をネイティブで持っているわけではない僕たち(現代の東京に生きる人はそういう人が多いと思う)。

でもそんな僕たちだからこそ、心の中にある民衆をどんな民衆であれダイレクトに表出する必要があるのではなかろうか。

それは親の親のそのまた親の…、先祖代々受け継がれて僕までたどりついた影響、そして同じ時代に生きる社会(人間・場所・物)からの影響。

これまでに受け取ってきた沢山の魂の集合体としての自分。

自分は個である同時に、その中には時空を越えた沢山の人・場所・物が存在している。それがつまり自分の中の民衆。

そんな自分の中にいる民衆の、音楽。


アンデスやアフリカなどの人たちは自分の民衆性と自分の属するコミュニティの民衆性が限りなくイコールに近い。なぜなら彼らの属するコミュニティ以外の情報が少ないから。教育の問題もあると思う。だから生まれたときから自然に触れるのはコミュニティの音楽であり、当然それを自然に体得してゆく。まじりっけなし。純度100%。

一方、僕は日々いろいろな情報に晒され、沢山の(雑多な)影響を受けて育った。日本人だから邦楽、と単純に言えるような状態ではない。


ただそれは、自分の中の民衆が、自分の属するコミュニティ単一のものなのか、多様な影響から成り立っているものなのか、それだけの違い。

「そこにあるだけの音楽」として頓着せずに魂のおもむくままに音を出す。

そうすれば自ずと自分の民衆が立ち現れるのではないかと思う。


そして大事なことは、民衆音楽はあくまで素材だということ。

それはアンデス音楽にせよアフリカ音楽にせよ、僕の民衆音楽にせよ、土着の音楽というのは素材にすぎない。

僕がやりたい音楽は、その先にある、素材を磨き上げた音楽。

でもその前に僕の民衆音楽の素材を拾い集めることがとても重要だと感じている(僕の中の民衆は色々な情報に影響されブレンドされたオリジナルなものだから、純日本でも純アジアでも純アンデスでもない)。

絶対にその先の音楽の洗練につながるはず。

逆に言うと、素材が無ければそれを磨くことすら出来ないのだから。


まあ、つらつらと書いとりますが、聴いてもらう人には楽しんでもらえればそれ以上望むものは無いのですだす。

音楽家としては最近はよくこんなことを考えているっちゅうこっちゃ。

僕の曲「Inner Village」というシリーズはそんなコンセプトで作られたもの。

今日も第一番と第二番をやったけど、助川さんの民衆も蜂起していて良かったな〜。